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2021/12/24

2学期終業式の話(「福田開学の日」の話を含みます)

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  2学期は学校に来る日が82日間ありました。始業式の日には、積極的にいろいろな人と「かかわる」こと、そしてかかわるときに相手の人の気持ちを「想像する」と良いとお話をしました。運動会や持久走記録会をはじめ、多くの場面で相手を思う優しい行動が見られ、嬉しく感じたことがたくさんありました。

  さて、1217日は何の日か知っていますか。はじめて、この福田の地に学校ができた日なのです。少し過ぎてしまいましたが、今日はこの日にちなんで「学校にはいろんな人の思いが詰まっている」ということをお話してみたいと思います。

  明治政府は明治5(1872)に子どもには教育を受けさせるべきだと考え、「学校を創りなさい」との命令を出しました。でも今と違うのは、学校の建設も各地区でやりなさい、授業料も国民が払いなさいというものでした。

  この地区の人々もたいそう困ったのでしょうね。新しい校舎を建てるのはものすごいお金が必要ですから、とりあえず観音寺を勉強する場所にあてたようです。それを一応、「福田学校」としてあと南島・福田中島・大原・南田の各地区に分校をたてて、5つの場所に分散して授業を行うというスタイルで出発しました。明治政府が命令を出した翌年にはもう授業を行う環境を作ったのですから地域の人々の努力はすごいものだったろうと想像できます。

  ここで、校長室に眠っている昔の写真を幾つか見てもらおうと思います。今とは建物も子どもたちの服装も違いますね。

  さて、年月が過ぎ、5つの建物はやがて2つの学校へとまとまっていきます。今はそれぞれの場所に碑が建っているのですが見たことがありますか。一つは現在の交流センターや図書館があった場所にあるもので「福田小学校」、もう一つが大原給食センターの近くにある碑で「於保小学校(その後福田町立西小)」です。

  昭和43年(今から53年前)には新しく1つの学校にまとめようということになりました。当時のことは「広報ふくで」にも大きく記事として載っています。福田町全体で力を入れて新校舎建設に望んだことが分かります。昭和45年には学校ができたこと記念してパンフレットも作られました。この頃の面白いエピソードを用務員が教えてくれました。この写真のとおり、今、雄峰山がある場所にプレハブ校舎が建っています。つまり、校舎を建てた後も子どもの数はどんどん増えて、昭和49年には北校舎部分の増築を行い、これでも足らなくなりプレハブ校舎まで建てたというのです。最も子どもの数が多いときは1400名を超えていたというからすごいですね。

  さて、この写真を見てください。なんだか、今と比べて寂しい感じがしませんか?ここから今の風景に変わっていく中でも地域の人々の熱い思いがあったのです。昭和50年には開学100年を記念して森を創りました。これがいわゆる「100年の森」です。玄関前の庭に碑が建っているのもこの時のものです。さらに、昭和56年には玄関前の池を、昭和58年には雄峰山を、そして昭和60年にはレインボーロード両側に欅並木を作り、ようやく今の学校の形になってきました。ということは昭和45年からの約15年間もの長い時間をかけて、地域の人々は私たちのためにすばらしい景観を作り上げてくれたのです。

  最後にもう一つだけ紹介して、私の話を終わりたいと思います。職員室前に2人の写真が飾られていますね。本校の出身者から2人もオリンピックのメダリストを出しているのですね。一人は昭和11年(1936年)ベルリンオリンピックで1500m自由形に出場し金メダルを取った寺田登さん、もう一人は平成4(1992)バルセロナオリンピックで女子柔道52キロ級に出場し銀メダルを取った溝口紀子さんです。

  どうですか。この学校にはすでに150年近い長い歴史があり、その中で地域の人々が「福田の子どもたちにいい環境の中で素晴らしい教育をうけさせてやろう」という熱い思いがこもっていることがよく分かったと思います。

  皆さんは、こういった多くの人々の思いを想像し感謝しながら、先に紹介したメダリストたちのように、自分自身を伸ばそうといろんなことに挑戦することはもちろんのこと、今度は地域の人々のために自分は何ができるのだろうと考えて行動してみることにも期待しています。

  では、13日間のいい冬休みを過ごしてください。そして、16日には全員そろって笑顔を見せてください。少し長くなりましたが、私の話を終わりにします。


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