「優しくする」ってどういうこと?(3年 道徳)

2022年6月1日 13時34分
3年生

 「人に優しくしなさい」という言葉は、大人が子どもに対して簡単に使いがちな言葉ですが、実際に優しくするためにはどんなことを考え、どんな行動をとればよいのか、考えれば考えるほど難しいことです。
 この日(6月1日)の3年生の道徳では、そういう問題に真っ向から取り組んだ授業でした。教材文では、みきさんから「ランドセルが重いから持って」と言われた「わたし」は「優しい人になりたい」と思い、持ってあげることにしました。ここで担任は、「先生から見ても、この子の行動は優しいと思う」と投げかけました。
 子どもたちは、うーんと考えた後に、ポツポツ挙手します。「多くの人からランドセルを持ってと言われたら持てない」「我慢して持ってあげるなら持たない方が良い」と発表する子がいます。一方、みきさんの立場から「優しすぎるのは優しくない」「みきさんのことを本当に思っていない」「何でも言うとおりにしてあげるのは、みきさんにとって良くない」などの考えも出されました。ここで、学級の雰囲気は、何となく担任の思いとは違うという空気になってきました。



 次に、「では、友だちから重いから持ってと言われたら、みんななら何と答えるの?」と問いかけます。自分の考えをワークシートにまとめた後、役割演技を行いました。「自分のものは自分で持たないとだめだよ」「優しくすることと持ってあげることとは違うよ」「そんなことでは将来困っちゃうよ」など何人かが全員の前で演技していました。

 役割演技がひと段落した後に、「では、人に優しくするためにどんなことを考えたらいいのかな?」とこれまでのことをまとめるような発問をしました。子どもたちからは「相手のためになるかを考える」「相手の将来を考える」「言われた通りのことをするのが優しさじゃない」などの意見が出されました。

 授業の中で、子どもたちは幾つかの葛藤場面に出会い、自分なりの考えを持とうと懸命に考えました。中には、友だちの意見を聴きながら自身のワークシートに書いたことを修正していた子もいました。友達の発言から学んだ瞬間だと言えます。
 最後に、担任は自身の小さいころの体験を話しました。断る勇気が持てなかったことや断ったら嫌われるかもしれないと思ったことを吐露しながら、「今日の授業をやったからといって、すぐに行動を変えることはできないかもしれないし、変えなさいとも言いません。でもこうやって考えたことは頭の中に残しておいてね。」と締めくくりました。